公開薬学集談会

稲瀬 實

栃木県病院薬剤師会には薬学集談会、学術講演会、臨床実例報告会等の勉強会、研修会がある。

そのうち1泊2日で行う公開薬学集談会は大変ユニークな勉強会として会の内外から評価を受けている。

なぜにユニークなのか。それは、病院薬剤師会々員、製薬会社、卸、最近では県薬剤師会からの参加もあり、多くの職種の人々が一堂に会して、一晩ゆっくりと飲みかつ語ることができるという点であろうと考える。

よく耳にするのは、栃木県へ転勤してきた製薬会社の方から「ほかの病薬ではこういう勉強会はやっていませんよ」という話である。

そもそもは病薬会員の懇親の場を求めて、1泊の企画を考えた。

昭和58年2月5日(土)、6日(日)が第1回目であったと思う。場所は塩原温泉紅葉荘、参加者は50名、この時はまだ公開でなく病薬会員のみの会であったと思う。

昭和59年2月4日(土)、5日(日)この時から公開薬学集談会とし、製薬会社、卸にも参加者を募り、108名の参加者を得た。

場所も塩原温泉かもしか荘を初めて使用し、その後は修理改装等で使用できなかった期間を除きかもしか荘が定宿となった。その当時からの従業員も現在も何人かいて、毎年お世話になっている。当時の支配人は話のわかる方で(現在の支配人は存じあげないが)いろいろな面で便宜を計っていただいた覚えがある。

例えば、宴会時間を延長してもらったり、二次会場を無料にしてくれたり、翌日の役員会会場を提供してくれたり、お酒、おつまみ等二次会への持ち込みを黙認してもらったり数えあげればきりがない。

そういった信頼関係(?)が築けたから長い間、お世話になっているのだろうと考えている。

昭和60年2月2日(土)、3日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者118名。「B型肝炎について」

昭和61年1月25日(土)、26日(日)鬼怒川温泉ホテルたかはら 参加者138名。「日本の将来の展望と医薬品業界」

この時からできる限り1月中の開催とし、新年会を兼ねることを考えた。

このことについても製薬会社、卸からは一時に多くの方と新年の挨拶ができるので助かりますと、予想外に歓迎された。

昭和62年1月17日(土)、18日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者131名。「がん、あれこれ」

昭和63年2月6日(土)、7日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者131名。「スポーツ障害とその治療」

平成元年1月21日(土)、22日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者127名。「山医者の茶のみ話」那須温泉で開業されて、作家でもある見川鯛山先生のお話をうかがい大変好評であった。

平成2年1月20日(土)、21日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者142名。「最近の医療の動向」

平成3年1月19日(土)、20日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者125名。「卒後における薬学教育の現状と将来」

1月の塩原だと雪が降る。土曜日はいい天気で、その夜半からちらほら降りだすと参加者も落ちつかなくなる。普段スキーに行くような人なら、雪に対する対策も怠りないが、雪道など走ったことのない人もたくさんいる。そんな人達は夜は落ちつかず、翌朝は早くから起きだし、タイヤへチェーンをつけはじめる。そして朝食を食べたら、後の予定などお構いなしに一目散に下山するのだ。

ところがそんな時に限って、ゆっくりしていると天候も回復し、道の雪も溶けてチェーンも必要なくなるのだ。早起きは三文の損?である。

そんな状況が何年かあった。

平成4年1月18日(土)、19日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者139名。「血液型物語」

平成5年1月23日(土)、24日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者138名。「エイズのはなし」

平成6年1月22日(土)、23日(日)国民年金保養センターきつれがわ 参加者54名。「ツボの話し」

この時なぜ参加者が減少したのか、筆者は参加してないので記憶にない。多分、会場が狭かったので規模を縮小したのだろうと推測する。

なお、定宿だったかもしか荘が全面改装に突入し、この後しばらく使用できない状態が続いた。

平成7年1月21日(土)、22日(日)栃木厚生年金休暇センター 参加者158名。「こころと心の触れ合うとき、…人間関係へのアプローチ」「21世紀に向けての医療と薬剤師」

平成8年1月20日(土)、21日(日)栃木厚生年金休暇センター 参加者145名。「足利学校古文書にみられる医療」「朝食をぬく事の多い患者への服薬指導」

平成9年1月18日(土)、19日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者135名。「漢方医学をどう学ぶか」「心のコントロールと薬物」

待望久しいかもしか荘の改装が終わり、木の香も新鮮な素晴らしい建物に変身した。部屋は広く設備も良く、エレベーターが新設され、宴会場も広くゆったりとなり、浴場も一新され、以前を知る筆者には大満足の改装であった。

平成10年1月17日(土)、18日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者144名。「米国の病院薬局見学記」「ふるさと栃木の県民性と生活・文化」

何故かは定かではないが、この頃から日曜日の予定に事故が重なった。

演者の体調が思わしくなかったり、スライドを忘れてしまったり、映写機の調子が不調だったり。参加者には迷惑のかけどおしであり、仕方なく日曜日は朝食を食べたら解散という非常に残念な進行になってしまった。参加者からも歓喜の、いや落胆の声が毎度届いている。

今後はこういうことにならないよう、前もって周到な準備を心掛けるつもりである。しかし、それでも何か不測の事態が起こった時はご容赦を願いたい。

平成11年1月30日(土)、31日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者144名。「東芝那須工場見学」「現代犯罪の推理と法医学」

初の試みとして、大田原市にある東芝那須工場の見学を企画した。医療大型機器を製作している工場であり、参加者には大きな関心をもって見学をしていただいた。この時は土曜日に工場見学だったので、参加者多数の意に反して日曜日にはしっかり講演があった。

平成12年1月22日出、23日(日)塩原温泉かもしか荘 参加者144名。「日本経済における所得の配分の効率性と公平性」

現在、この公開薬学集談会の開催準備にあたるのは主に学術委員会の委員である。

毎年、大まかな地区割りで担当地区を決め、その地区の学術委員が中心となる。その中からさらに軸となる担当病院を決める。

学術委員、担当病院のお手伝い等で構成する公開薬学集談会準備委員会を結成する。

8月、9月頃から準備を開始する。

かもしか荘の手配、日程の調整、早くから取り組まなければならないことがたくさんある。その中でいっも頭を悩ませるのは講演内容、講師の選定である。

幅広い職種(とは言っても薬でつながってはいるが)の方々に興味をもってもらうプランをたてるのが、毎度難題である。

何度かの準備委員会を開き、詳細を煮つめ、決定すれば10月から11月にかけて参加者の募集をする。

大筋では12月中に募集の締切りをする。この時点で多数の参加者があれば、こんなに嬉しいことはないが、参加者が少なければ再募集をすることになる。さらに各々の病院に電話でアタックすることもあった。

1月になれば最終チェック。県病薬にとっては一大イベントなので、ミスは許されないのだ。準備委員会で詰めの作業を行う。

さて、いよいよ当日。昨日までの準備委員は、今日は実行委員になる。

ここでも種々雑多な仕事が襲ってくる。

受付、部屋割りのチェック、会場の確認、宴会場の確認、館内放送の手配、講師の出迎え、二次会の準備等々。

実行委員がゆっくり飲めるのは、二次会も終焉をつげ夜も寝静まるころである。

準備委員、実行委員をやると5kgは痩せるという伝統がある。

ダイエットを目指す方は、今からでも遅くありません、是非準備委員、実行委員に名乗りをあげて下さい。お待ちしています。

具体的に平成12年度の公開薬学集談会の進行状況を簡単にお知らせする。

6月14日 第1回学術委員会
日程(平成13年1月27日、28日)、場所(かもしか荘)、担当者を決定。

7月27日 第2回学術委員会
かもしか荘全館貸し切り予約済を報告、次回学術委員会までに骨子作成。

9月21日 第3回学術委員会
準備委員会委員決定、講演内容、講師検討(第一、第二候補まで仮決定)、案内予告を10月中、本通知を11月、締切りを12月中旬とする。

10月12日 第1回準備委員会
講師決定、予告通知の原稿検討。

11月上旬
開催予告送付 日時、場所は前述のとおり。参加費12,000円。

1月27日(土) 特別講演 演題未定  講師 那須温泉診療所 見川精神衛生研究所 見川 泰岳先生

1月28日(日)会員発表 インターネット「栃木県病院薬剤師会ホームページについて」 講師 自治医科大学附属病院薬剤部 深谷 裕之先生

なお、見川先生は平成元年に講演をお願いした見川鯛山先生のご子息であり、親子二代にわたって講師を勤めていただくこととなった。

11月9日 第4回学術委員会兼第2回準備委員会

特別講師との交渉経過説明

準備担当者決定(部屋割り、領収書、垂れ幕、名札、景品等の作成、その他)

当日担当者決定(受付、司会、開会辞、座長、懇親会司会、仲締め、閉会辞等)

前述したようにこの後も細々した準備に時間が費やされる。最後までお伝えしたいところであるが、当原稿の締切りも迫ってきたので、甚だ残念であるがここで筆をおくこととする。

この様に多くの人達に支えられて、この公開薬学集談会は続けられている。

これからも多分、参加者がある限り、栃木県病薬が存在する限り継続されると思う。

みんなが参加しやすい会にしたいと、学術委員会では常に模索している。

どうか会員の皆さんの今後の積極的な参加をお願いしたい。

創立五十周年記念誌 栃木県病院薬剤師会 平成13年6月 より掲載